Friday, December 21, 2007

干支を食べる

以前、犬の角煮熊の手を食べた幡ヶ谷のチャイナハウスへまた行ってきた。今回のテーマはアヒルのスープ、とわりと素直だったが、僕の気に入りの黄ニラの炒めもでたし、カシューナッツ付きの鹿肉もでたし、上海蟹もでたので大満足だった。とてもミシュランに載りそうもないお店だ(そういえば、このあいだでたミシュランのガイドブックには中華のお店があったっけ?ないような気がする)が、本当においしい。

そこで「干支を食べるのがおもしろいかもしれない」という話になった。イノシシ(豚!)はもちろん食べたし、戌も食べたしね。しかし、実在のない辰はどうしようもないね。「比喩」(dragon fruit とか)でごまかすしかないでしょう。そして来年はネズミだ。マスターに聞いたら、中国の食用ネズミは身が赤くておいしいそうだが、日本にはなかなか輸入できないし、レストランで出したら問題になりそうだ。ドブネズミはもちろん食べれないし、わざわざペットショップで「食べるために」買うのもちょっとまずいだろうね。

「でも猿なら、あるよ、冷凍庫に!」とマスターが言う。びっくりした。猿も食べるんだ。例の脳みそだけじゃなくて、肉のほう。太股とか。「猿は独特な味がする。牛や豚や鹿とはまた別の種類の味だ」そうだ。しかも四国で取れたニホンザルだって。町に出て悪さするお猿さんが警察に捕まって、やっぱり中華料理になるのか。キャア~。でも猿肉はさすが食べたことがないから、今度の楽しみ!
Donald Duck stewed in his own juices
よく考えてみたら、今回はミッキー・マウスを食べることができなかったとしても、ドナルド・ダックを食べたのだ!

Sunday, December 16, 2007

和風クリスマストリー?

家の近くに変わった植物を見つけた。そしてちょっと考えた。もし日本人が独自に「クリスマストリー」を開発したとしたら、こんな感じになったのかな。悪くないんじゃない?
(クリスマストリーはほかのクリスマスの習慣のほとんどと同じように元々キリスト教とはなんの関係もないよ。)
さらに考えたら、夏の Documenta で実際に日本人が開発した「クリスマストリー」を見たことを思い出した。田中敦子の作品は「ワンピース」といわれても...

Saturday, December 08, 2007

Kamata Godzilla

一昨日は結構気に入っている映画監督の廣木隆一の「やわらかい生活」を見た。(監督は「ヴァイブレーター」で有名になったが、これも寺島しのぶ主演のちょっと似たような映画といっていいのかな。テレビドラマのようなオーバー演技くさい普通の日本映画とは別世界だからか、日本ではなぜか「マイナー」みたいだが、むしろ海外のほうで受けるかもしれない。)
舞台は蒲田で、気になるところがあったから、昨日は天気がよくて早速蒲田へ(10何年ぶり?)行った。
そして本当にあった!タイア・ガーデンのゴジラ!古タイアでできた珍しいプレイグランドに聳えるゴジラは本当にびっくりするほど大きいよ。やっぱりちょっと変わった町だね、蒲田。


Thursday, November 15, 2007

この一年間かかわった本

これをずっと前から書くつもりだったが、僕が「最近」かかわった2冊の本の紹介だ。
Here are some books that I've been involved with during the past year, and that I should have written about already long ago...


まず、これ。ちょうど一年前(!)のグラフィックデザイナーの松田行正がかなり遊んで作ったマルセル・デューシャンについての本、「アンフラマンス/梱包されたデュシャン」。デューシャンといえば箱なので、松田さんがいくつものデューシャンの作品をトレースして、そしてそれを本から取り出して「箱」に折ることができる、というすごい発想の本だ。しかも表も裏もあるし、本のままの形としても1冊を残したいから、3冊も買うべし!また、今年のヴェネチアのビエンナーレの日本パビリオンのキュレーターにも勤めた港千尋さんによるデザイナーとしてのデューシャンについてのエッセイも入っている。デューシャンほど徹底的に研究されたアーティストがあまりないので、デューシャンについて何か新しいことを言うのは難しいが、港さんはそれなりにがんばったと思う。そしてそのエッセイは僕が英語に訳したので、バイリンガルなわけです。ここにもちょっと情報がある。

The first book was published almost exactly a year ago, "Inframince: Duchamp Boxed" by the graphic designer Yukimasa Matsuda. When you think of Duchamp, one of the first things that spring to mind are his boxes, so Matsuda had the rather fabulous idea of turning a number of Duchamp's works into little cubes! They are already punched out in the book, so all you have to do is take them out and fold them up. And since they are printed on both sides, you'll really ought to buy three copies of the book: one for the A-sides and one for the B-sides, and then a third copy to keep as an actual book.
The book also contains an essay about Duchamp as a designer by Chihiro Minato, who among many other things also was the curator for the Japanese pavilion at this years biennale in Venice. Few artists have been so thoroughly investigated as Duchamp, so it's quite hard to find anything new to say about him, but Minato-san does a good job, I think. And as this essay was translated into English by me (which is were I came in), the book is bilingual, even.

*

もう一つの本は工作舎のカメラマンだった岡田正人が30年も撮り続けた、世界的に有名なダンサーの田中泯の豪華な写真集、「田中泯 海やまのあひだ」。山や森や雪のなかで踊る泯さんのカラーの写真もいいけど、僕にとってはやっぱり、昔、東京のゴミ置き場だった夢の島の生ゴミの中で踊る、強烈なモノクロの写真のほうは一番インパクトが強いと思う。(写真の一部は工作者のホームページで見れるよ。)
この本にも泯さん本人を始め、松岡正剛、宇野邦一、木幡和江などによるエッセイが入っていて、(主に)僕の翻訳によってバイリンガルになっている。
ちなみに、この写真は今、ニューヨークのP.S.1に展示されていて、今週末は泯さんがそこで踊る予定だ。もしたまたまニューヨークにいる人がこれを読んだら、是非見に行ってください。

The second book, Min Tanaka - Between Mountain and Sea, is a lavish volume of photographs of the world-famous Butoh dancer, Min Tanaka, taken by Kousakusha's (late) cameraman, Masato Okada, over a period of 30 years. The color shots of Min dancing among mountains, forests and the snow are fine, but to me, the most striking ones are the black and white shots taken among the garbage at Tokyo's old garbage dump, Yume no shima (which literally means "Dream Island"), where the lethal danger is quite apparent. Will he sink into the trash like quicksand, or will the flies get him first? Or so it seems. (There are some images and information here.) 
The book also contains a number of essays by Min Tanaka himself, Seigo Matsuoka, Kuniichi Uno, Kazue Kobata and others, mostly translated by me, so this is also a fully bilingual volume.
An exhibition of these photographs is currently shown at P.S.1 in New York, and Min will be dancing there this weekend. So if you happen to be in New York...

Posing Animals

この間の靴展の近くにこんな犬も見た。かわいくておしゃれだから、止まって写真を撮る人がいっぱいいたが、犬がこんなポーズをとるのはやっぱり飼い主がそうさせたからだ。しかし、鎌倉で見たこの鳩たちはもっと不思議。
なぜかほとんど縦の壁にしがみついていて、まるで蜘蛛や寝ている魚みたい(そう、ダイビングをやったことのない人はわからないかもしれないけど、夜を潜る とよくこんなふうに寝る魚を見かける。でも鳩にもどりましょう。)どうやってそこまで重力を無視してしがみついているのかわからないし、壁の魅力も不明。太陽がよく当たっているから?隙間になにかのえさがある?も ちろん、はとの写真を撮る人がいっぱいいたけど、ポーズをとらせた人はいないだろう。

Thursday, November 08, 2007

Spanish shoes

土曜日は表参道ヒルズでの靴の展覧会を見に行った。そう、靴屋さんじゃなくて、イベントスペースでの靴の展覧会。「靴xクリエーション」 (reinventando el calzado) というその展覧会は(たぶん)デザイナーズ・ウイークの関連イベントなので、数日しかやらなかったけど、今、注目されているスペインの最先端の靴のデザインを紹介するためだったのだろうが、どうでもいいファッションなんかじゃなくて、遊び心あふれる彫刻展だった!いわゆる「普通」の靴の延長線のまあまあ履けそうなもの(特に女性用の)もあったが、脚はどこを入れれば不明なキュービスト系のものまであった。
以下のRoyo Communicacionというグループがデザインしたこんなスニーカー(サッカー場、牧場、お葬式(!)などのタイプもあった)は一番笑ったものだったが、残念ながらあまり使い物にならないと思う。すくなくとも足の長い(長すぎる)僕が電車などに座ったりするとよく踏まれるから、たぶん1回履いただけでもう台無しになってしまいそうだ。
でもIsidro Ferrer のこれならちょっとほしいな!僕のサイズさえあれば...

Thursday, October 25, 2007

東京国際映画祭

うああ... 1ヶ月もアップしていなかったのかぁ。別に忙しかったり、病気したりしたわけじゃなくて、ただ最近は妙にとろいだけだ。しょうがないね。
それはともかくとして、今週は伝統行事の東京国際映画祭だ。毎年行っているから今年も今のところ3本見てきた。ただ、今回は20回目だが、世界の映画祭の中では東京国際映画祭はとてもランクが低いことは残念ながら最初から変わりがない。特にコンペティションのほうはあまり期待できない。受賞してもあとで話題になった作品はほとんどないし、グランプリを受賞した映画の中でもあとで普通の映画館に公開されるどころか、ビデオにさえ出たことがない作品もいくつもある。といっても、無名の若手の監督の掘り出し物もあるし、コンペティション以外に上映されるアジアの映画にはかならずマイナーだが、すごくいい映画がいっぱいあるから、僕はだいたいそのへんを狙う。
まず、日曜日見たのは、あの問題のあるコンペティションに登場したフランスの若手監督の Jérôme Bonnell の新作、「誰かを待ちながら」 (J'attends quelqu'un)。とても僕の趣味の映画だった!ストーリーといったストーリーは特になくて、「アクション」や大げさなドラマもまったくなくて、ハリウッド映画の正反対の種類の映画なので、わからない人はさっぱりわからないだろう(そういったわからない人によるこの映画の批評をネットでいくつか読んだ)が、ボネル監督は「エリック・ロメールっぽい」といったら、そんな趣味の人がすぐ納得すると思う。大きな展開がなくても出てくるのはフランスの小さい町の何人かの偶然の出会いやお別れ、日常の中のちょっと不思議な出来事、人生を考えさせる場面のいろいろ。カフェを経営するおじさんとその「レンタル恋人」の切ない関係(「客と娼婦」といったら、なんかレベルが下がりすぎる)、学校の先生をやっている女性とそのだんなさんが偶然に拾ってしまったクマのような大きくて黒い犬の話、そして町に久しぶりに戻った、秘密のある無口の若者の話...  とても静かな映画だから賞は取らないかもしれない(特に去年のグランプリは(まったくのクズの)フランス映画だったこともあるから今年はフランスの番じゃないだろう)が、今年で30歳の若さでの監督の人生の洞察力に感心した。

昨日は「アジアの風」のシリーズの映画を2本見た。そのシリーズはいつも僕にとっての映画祭の目玉になっている。香港や韓国の映画はだいたいあとでDVDなどでも見れるが、それ以外の東南アジアの(映画的に言えば)もっと「マイナー」な国の作品をここで見逃せば、後で見るチャンスはも二度とないことが多い。少なくとも読める言語の字幕では。(実際に、去年、おととしとさらに前から見ようと思ったけど結局見なかったが、その後ずっと探している作品は何本もある。やっぱりマイナーすぎる。)

というわけで、最初に見たのは「遠い道のり」という台湾映画(英語名は "The Most Distant Course")。これもアクション物からほど遠い静かな映画で、ちょっとだらだらしているところもあったが、まあまあよかった。映像が綺麗だし、「音」のアイディアも面白いし。30代の気がおかしくなった精神分析の医者、映画の仕事からクビになって、台湾の自然の音を記録しようとしている若いサウンドマン、そして彼が録音したテープを間違って受けとってしまって彼を探しに行く若いOLの3人がそれぞれの失恋(と責任)から逃げて、自分探しの旅に出る、といったストーリーだが、果てのないロードムーヴィーのような感じだ。しかしねぇ... ソウンドマンの「フォルモサの音」(海の音、森の音、リスのラブコール、現民の歌、などなど)の企画はとても面白くて、本人は泣きながら分かれた恋人に(無駄に)テープを送り続けても、希望があるような気がするが、ほかの二人はどうだろう。ヘンテコの医者のほうは精神分析から精神分裂病に変わってしまったようで、たぶんもうおしまいだろう。そもそも彼の映画の役割は英語でいう comic relief (それ以外はどちらかというと暗い映画には笑いを誘う場面を作るキャラクター)だから、最終的にはどうでもいいかもしれないが、僕にとって問題なのは女の子のほうだった。数年前の「藍色夏恋」という日本でも流行っていた台湾映画で好奇心あふれる女子高生を演じた女優のグイ・ルンメイさんはとてもかわいいけど、この映画では(僕の苦手の)最近の日本の映画に登場する若者みたいに、ほとんど無表情で、無口で、結局「中身」もあまりなさそうだ。空っぽの人間が自分探しの旅に出ても、何かを見つけることがあるのだろうか。しょうがないような気もする。
もう一つの気になったことは、人が泣くシーンがやたらと多い!しかも、それぞれの泣くシーンは非常に長い。数分間も泣くためにしか登場しない女性さえいるほど。監督はそこまで人を泣かせる趣味があるのかな。

台湾の映画のあとは、本当は気に入りの香港監督の Pang Ho-Cheung の新作を見たかったが、完売だったので代わりによりマイナーなマレーシア映画の「ダンシング・ベル」にした。天気もよかったからちょっと迷っていたけど、これぞここで見ないともう二度と見れないような映画だから見ることにした。それが正解だったと思う。やっぱり低予算(ビデオ撮影)で作られた映画で、普通の映画館で公開されることはまずないと思う。それなりに楽しくて、ほのぼのした映画だったのにね。ストーリーはマレーシアのクアラルンプールの郊外に住むタミル系の貧乏な家族の話だが、たぶん東南アジアやアフリカなどのほとんどどこでも通用するんじゃないかと思う。11歳の娘は民族舞踊のダンサーにあこがれいて、お兄さんはオートバイを買いたいがお金がない。そして暴力的なだんなを追い出した花売りのお母さんはがんばって、なんとか生活費を作ったりする。これもやっぱりとても静かな映画で、アクション的な展開が可能な場面(というか、普通の映画なら絶対にアクション的に展開する場面)もあるが、監督はそんな展開をあえて避ける。たとえば、お兄さんはちょっぴり不良の仲間と一緒に人の車を「かりる」が、クラッシュしてしまう。でもクラッシュそのものが映らない!その賠償のために引ったくりもするが、やっぱりチンピラになりたくないからその展開も始まらないうちに終わってしまう。でもそれでいいんじゃにですか。とにかく、いくら貧しくても、この映画に出てくる人々はみな上記の台湾の映画(やそれに似たような最近の日本の映画)の甘やかされた都会の若者よりも生命力がある。

別のことだが、先日、映画祭が行われる六本木のシネコンへ行ってきた友達からのメールが届いて、「映画が終わってロビーに出るとポップコーンの臭いが気になる」って。本当だよ!しかも、僕が昨日見た映画の両方にもたまたま出口の近くに座っていたから、上映中もポップコーンくさかった。一度考えてしまえば、ポップコーン(あるいはポップコーンにかける、人工的でものすごく甘いなにか)の匂いがずっと気になっていた。関係者よ、子供向きのハリウッドものじゃなくて、大人のためのアジア映画だぞ!(もちろんだからといって台湾の映画の上映中に臭い豆腐の匂いのほうがいい、とかそんなわけじゃないよ。)

Sunday, September 23, 2007

えびとバニラのリゾット

久しぶりの料理の紹介だ。数年前、どこかで読んだことによると「えびとバニラの相性は意外といい」って。(たしかに、ヴェトナムで拾った雑誌でのサイゴンのフランス料理のシェフのインタビューだったと思う。)でも全然見ない組み合わせだよね。というわけで、ずっと前から作ってみようと思って、バニラビーンズも買っておいたが、その先にはなかなか進まなかった。でも昨日、やっと実現できた!えびとバニラのクリ-ムリゾット。
Prawn and vanilla risotto
そして結果はやっぱりうまい!バニラというと、ほとんどの人はアイスクリームなどのデザートを連想するだろうが、そこには人工のバニラが使われることが多い。本物のバニラ(黒い点々のようなもの)は別に甘くないから、料理にも意外と使えるかもしれない。もちろん大量を入れたわけじゃなくて、アクセントになるぐらいだけだけど、ちゃんとえびの味もバニラの味もした、競争なく。(それ以外に彩りのために何種類かの豆なども入れたし、お皿の周りに飾ってあるのはスーパーで見つけたちょっと珍しい沖縄産のまめだ。ちょっとゴーヤーっぽく見えるが、味は普通のインゲンに近い。)

Friday, September 21, 2007

失敗の連発

最近、妙な失敗が続いていて、ちょっと困ってしまった。そこまでぼけたのか、僕は...

まずは先週の火曜日。日本橋にある西村ギャラリーのオープニング(樋口佳絵さん(左)や町田久美さんの作品がなかなかいいよ!)へいってから友達と会う約束があった。僕が7時ごろに電話をすることになっていたが、何回電話をかけてみてもずっと話中になっていた。ぶらぶらしながら公衆電話を探したりした(そう、僕は未だに携帯がない)が、ずっと話中だった。雨もどんどん強くなったので、結局8時ごろにあきらめて帰ってしまった。
ところが、家に着いてからその友達にやっと連絡が取れたとき、とんでもないことがわかった。なんと、僕がずっとかけていた電話番号には一桁が足りなかったのだ!自分が書いたメモの番号が正しかったのに。(しかし一桁が足りないのにどうして「話中」の音が出たのが不思議でしょうがない。)とても恥ずかしかったと同時にすごいショックだった。

次は土曜日。新宿で行われた今年のスペイン・ラテンアメリカ映画祭を見に行ったが、そのまえに久しぶりに大久保によることにした。
ところが、大久保に着いたら、なんと電車の切符がなくなっていた!電車の中で落としたのか、あの日は相当寝ぼけていたからひょっとして品川で乗り換えるとき機械に通した切符を取るのを忘れたかもしれない。とにかく、そんなのが生まれて初めてで、またもすごいショックだった。
(大久保では暑いときが旬とされる韓国風の犬のスープを探していたが結局見つからなかった。どこかにあるんじゃないかと思うが、おなかがすいてきたから普通の豚肉の石焼ビビンバにした(それもうまいけど)。またそのうち探しに行くよ、ブログの取材のために!
映画祭のほうはねえ... 僕が見た「撃て!」というブラジルのドキュメンタリー映画もよかったし、上映後の(意外とひょうきんな)監督とのQ&Aも楽しかったが、残念ながら映画祭の「祭り」の部分が完全に消えてしまった。この映画祭の最初の2年間はスペインのワインやおつまみが出されたのに対して、今はなにもでないで、ポップコーンのにおいがする普通のシネコンで普通のハリウッド映画を見に来た人々と混ぜてやるのがさびしい。)


でも最悪なのは日曜日。豪華なディナーのデザートとしてカシスのリキュールのアイスクリームを作ろうとした。
ところが、なんとなんと砂糖の代わりに塩を入れてしまった... そんなのももちろん生まれて初めてのミスだった。もう、ショックで死にそうだった。幸い、必要な分しか持っていなかった生クリームを入れる前に気が付いたから最初から作り直すことができたが、卵白と塩のメレンゲ(!)や大量のリキュールがぱっになってしまった。ああ、ひどいな...

Monday, September 10, 2007

森村の教室

しばらくアップデートしていなかったみたいだが、それはただ最近のあまりの暑さでどこへも行っていないし、役に立つことを全然やっていない(8月は部屋で映画を49本(!)見た、とか)からなのだ。でも土曜日は一応今、横浜美術館でやっている森村泰昌展、「美の教室、静聴せよ!」を見にいってきた。そして面白かった!僕は森村さんの作品を昔から見ているし、何点かも持っているぐらいだから、今回は見たことのなかった作品は一つもなかったと思うが、「教室」という展覧会の仕組みが新鮮だ。というのは、作品を見るのだけじゃなくて、なんといっても森村さん本人による無料音声ガイドがすばらしい。全然気取らずにそれぞれの作品のポイントや撮影のときのエピソードや元の絵の歴史的な背景などをとてもやさしく説明してくれて、以前からなんとなく知っていても一時間聞いてもまったくあきさせない。(それはかなりすごいことだよ。)
17日までだからチャンスがあればお見逃しなく。

Tuesday, August 21, 2007

Dengue Fever @ Bangkok Int'l Film Festival

「気持ち悪い」写真をブログのトップにおいてしまうと文句言われるから、代わりにこのかわいい豚たちにしましょう。実は、この前バンコクの空港で買ったクッキーなのだ!完全に見た目で選んだから、味はある意味でどうでもよかったが、案外おいしかった。ブタマンなどじゃなくて、「アップルパイ味」だそうだが、それはよくわからないが、とにかくあいまいなフルーツ味で、結構いける。ちなみに耳はアーモンドのスライスで、ミミガーじゃない。

バンコクといえば、今年もバンコク国際映画祭へ行ってきた。去年は豪華なオープニングに入ってしまって、ミス・タイランドに会ったりしたが、今年はオープニングの次の日に到着したからいけなかった。しょうがないね。でも今回狙っていたのは僕が好きなバンドの Dengue Fever についてのドキュメンタリー、Sleepwalking Through the Mekong だった。(アメリカのバンドだが、60年代のカンボジアのポップスのカバー曲ばかりをやっている、もちろんクメール語で。すごくかっこいいよ!バンドのリンクのところにその映画の予告編を見ることができる)。
ところが!映画祭はバンコクの一番新しい最先端のドでかいシネコンでやっていたが、この映画はどうもDVDからの再生だった。しかもなんと約20%遅いスピードで!元々すごく高い声で歌っているNimolちゃんはいきなりアルトに、バンドの男たちはみんなとても低~い声になってしまった。僕はすぐ気がついて飛べだしたが、ドでかいシネコンだからこそプロジェクショニストなんかいないし、係員の姿もまったく見れなかったので、結局映画はそのまま最後まで上映された。やっぱり変だよ。
まあ、この映画に関してはDVDにでたら買おうと思っているからそのうちまた見れるだろうけど、映画祭で変だったのはそれだけじゃなかった。プログラムにはアジア映画がいっぱいあったことはいいことだが、中国などの映画には英語の字幕は付いても、タイ語の字幕がはなぜかあまりなかった。タイでの映画祭なのにね!英語の字幕はもちろん外国の客さんにとってありがたいが、外国の客さんは僕を含めて数人しか見当たらなかった。でもタイ語の字幕がなかったせいでタイ人の客さんも少なかくて、空席のほうが多かった。結局いったいだれのための映画祭なのだろう。本当に不思議だった。

Friday, August 17, 2007

Spider vs. Spider

暑くなって、また変な生き物が家に現れる時期になってしまった。昨日はキッチンの壁にでかい蜘蛛が2匹もいた。しかもつながっていた!なにをやっていたのだろう。交尾?それとも共食い?それともその両方を同時に?(虫の性生活はかなりやばい。)途中で「体位」を変えたり、からだを重ねて16本の足のダブル・スパイダーににもなったりしたし。

なんとなく、あの petite mort どころじゃない交尾のほうだった気がする。というのは、今朝はエッセンスが抜かれた片方(雄?)の死体だけがぶらさがっていた...

Thursday, August 02, 2007

Münster

ミュンスターはカッセルから電車で3時間ぐらい。そこに、今、10年ごとに行われる彫刻際の skulptur projekte münster 07 が実施中。ここもキューレーターたちはなにをやっているのかよくわからないけど、こんどはカッセルの逆の意味で、つまりキューレーターの存在感がまったくない、といった感じだ。作品の共通点もなにもなければ、全体のまとまりもない。ただ好きなアーティストを適当に招待しただけかもしれない。でもそれでいいか。ミュンスターは緑がいっぱいの結構きれいな町で、自転車で走り回ってかなり遠いところまでにある作品を探すのが楽しかった(なかなか見つけにくいのもある)。多少の雨が降っても。
ミュンスターはとにかく「自転車の町」とアピールしようとしていて、駅の出口の目の前には町が経営している大きな自転車レンタル屋さんがあるぐらいだ。実際に、今回の企画をほかにまわる方法もないと思う。歩くのには完全に遠すぎるし、車でいけないところも多い。というわけで、僕が予約したのは「2泊+1日の自転車のレンタル+ランチボックス」といった最適なパッケージを提供するホテルだった。

もちろん、自転車をテーマにした作品もある。これは僕がすごく気に入っている、2005年のヴェネチアのビエンナーレの一番大きな発見の Guy Ben-Ner の作品。いつもの彼のものと同じように本人と彼の子供たちが出ていて、「自転車泥棒ごっこ」をやって自転車の部品を使った有名な美術作品(デュシャンのいすに付いた車輪とか)を美術館から「借りて」、巧みに一台の自転車を組み立てて、ミュンスターを走り回る、といった内容のビデオだ。しかも、ビデオモニターは自転車に付いているので、見るためには自分で安定したスピードで10分間ぐらいこがなきゃいけない。(こぎ方によって早回しや逆回しもできる!)それが楽しくて1回以上見てしまった。面白い発送だし、本人はなかなかいい人に見えるし、天才的な日曜大工だし、これはやっぱり今年のミュンスターの目玉だ、と僕以外にも思っている人にたくさん会った。
Guy Ben-Ner with kids, about to add the finishing touch to their "art bike"
Bike with video monitor, installed in the Tax Office.
You have to pedal to watch!

もう一つの気に入った作品は Susan Philipz's サウンド・インスタレーション。大きな公園の中の人口湖を渡る橋の下の両側から Offenbach のデュエットを歌って、毛が立つほどきれいだったが、音だけだから写真がないし、録音が風邪の雑音のせいで失敗したが、しょうがないね。(Philipzさんといえば、3月ごろ、日本での初の個展のために来日したとき会ったんだけど、初めての日本で「是非、地震を体験したい!」とウキウキワクワクだった。実現したのかな。)


Mike Kelley の Petting Zoo も面白かった。間中に立つのは塩でできた「ロトの妻」の像。(聖書の話にはソドムが破壊されるとき、神様の命令に逆らって振り向いてしまったから塩に変わった、という。また、この像は実は僕が去年行ったポーランドの塩の鉱山の職人たちが掘ったものだ。)三つのビデオモニターにその「ロトの妻」という名前が付いている世界中の岩などが写っていている。そしてそのあいだに歩き回っているのは塩を舐めるのが好きな動物のロバや山羊だ。いわゆる「ふれあいの動物園」だから子供連れの家族には人気だった(Mike Kelleyさんの作品は普通あまり「家族向き」じゃないよね?)が、雨だったから周りは泥っぽくて、糞くさかったから僕はちょっと... (動物とのふれあいは猫で十分。)

Mike Kelley's "Petting Zoo", featuring Lot's wife in Polish salt

ミュンスターの彫刻祭りの一つの特徴は、昔(10年前、20年前、30年前)の作品の一部は町の宝物として残っていて、今でも見れるのだ。たとえば1997年のHuang Yong Ping のこれ(間中はデュチャンのボトルドライアーだよね?):
や Thomas Schütte の1987年の Kirschsäule:
これは展覧会の作品じゃないけど、すごいなと思った。なんと「虫のホテル」だそうだ!
Insect Hotel (not part of the actual show)

Tuesday, July 31, 2007

Documenta

スウェーデンにいるあいだ、ドイツにも足を伸ばして、カッセルで5年ごとに行われる Documenta という、世界最大級の美術展を見に行った。しかし、行く前に読んだ今回の Documenta の評判はものすごく悪くて、キューレーターたちは(税金から出た大金で)なにをやっているの?って。そして確かにキューレーターたちは遊びすぎたし、なにを言いたいのかぴんとこない。(そのへんに関する文書はもちろんいっぱいあるが、どうも当たり前のこと、あるいは(アート系の文書にありがちの)不透明なナンセンスにしか見えなくて、実際に展示されている作品の関連性も今一はっきりしていない)。
いつものビエンナーレなどの非常に限れた派閥の「有名なアーティスト」をさけて、代わりにあまり有名じゃない中南米やアジアのアーティスト、もうほとんど忘れられた60年代、70年代のアーティストに重点を置くのは決して悪いアイディアじゃなくて新しい発見のチャンスだと思うし、14世紀までさかのぼる古い作品を現代美術展に入れるのも面白いし、カタログをアルファベットじゃなくて年代順にするのも新鮮だったし、中国人のアーティストの Ai Weiwei が持ってきた沢山の古い中国のいすがあっちこっちに置かれたから座るところは珍しくいっぱいあったが... 展示場をそこまで滅茶苦茶にすればどうしようもないよねえ...


まず、最初の日はスウェーデンから電車に乗って(9時間もかかったから、あまり近くない)夕方カッセルに着いてから、早速小雨の中にメイン会場である Fridericianum へ向かって、午後5時以降の「夕方切符」を買った。Fridericianumはまだ「普通の展示場」で、そのせいか「いい作品」もそこに集中していたような気がした。特に気に入っていたものはたとえば、おばあちゃんのフレームと自分の髪の毛を使った Hu Xiaoyuan (胡晓媛)の刺繍、Trisha Brown のインスタレーションとその中に常に行われたダンス・パフォーマンス、Luis Jacob が集めたヘンテコな写真のコレクションの部屋、そして Hito Steyerl とういうドイツ人の女性が自ら出演した80年代の日本のSM雑誌の写真を日本に捜しに行って、当時の関係者(カメラマン、編集者、縄師など)をインタービューしたり、ボンデージの普遍性(?)について考えたりする、すごく面白いドキュメンタリービデオ。

Hu Xiaoyuan: Body parts embroidered with the artist's own hair
Bondage above, ballet below
From Luis Jacob's picture collection (kusagauma indeed!)

二日目はまず町の中心部から6キロも離れた Schloss Wilhemshöhe へ。ここは町のちょっと上にある、普段は博物館・美術館になっているお城で、晴れたらすごく綺麗だろうが、例によって小雨で霧だった。また、その美術館はレンブラント、ブリューゲルなどのオールドマスターのものすごく立派なコレクションを所蔵している。しかし、その中に一流でもない現代美術を混ぜるのは「大胆」というよりも、キューレーターのセンスのなさを物語っているんじゃないかと思う。まあ、Documenta のヴィジターにとって、どうでもいい現代美術に飽きたら、オールドマスターの中にはすばらしい作品がいっぱいあるから行く価値ちは十分あるが、キューレーターはまさかそんなところまでは考えていないでしょうね。
でもここにも(Documenta系の)いい作品はあった。2階の中央に暗くした部屋に14世紀のペルシアの細密画、16世紀の中国の陶器の「説明書」、19世紀のインドの水彩画などが1960年、70年代の作品そして「今」の作品と並んでいて、関連性はまた中途半端だが、いいものが多くて楽しかった。ここにも Hu Xiaoyuan の作品はあるが、点字で印刷された聖書の中にエロイ絵を描くのはちょっとシンボルの重ねすぎでしょう!またその暗い部屋の外にある、Dias & Riedweg によるブラジルとカッセルの歴史的な関係についてのビデオも面白かった。天気をのぞいて、とてもいい午前中だった。
Hubris: Rembrandt, Kulik, Rembrandt
Hu Xiaoyuan again, but this time a total symbolic overload: Fuckpics in a bible in Braille!
"Modern art? Been there, done that!" (Rogier van der Weyden)
Documenta-unrelated showcase at the Schloss Wilhelmshöhe with 2nd century glass. A healthy reminder that humankind really hasn't made
that much progress during the last 2000 years.


そこまでは Documenta は期待以上で、なかなかよかったが...



そのあとは全然駄目だった。
Neue Gallerie にはキューレーターたちは現代美術を支配しているいわゆる「ホワイト・キューブ」への子供っぽい反発で壁をドピンクやダークグリーンに塗り替えた。当然のように、その中にはアートそのものが完全に消えてしまって、ばかばかしかった。
また、今回のDocumentaのために公園の中にわざわざ建てたもう一つのメインの会場の Aue-Pavillon もチャチくてしょうがない。建物実態が展覧会の目玉の一つになるはずだったらしいが、すごく安っぽいグリーンハウスにしか見えない。そのせいで、そこに展示されているもアートそのものも安っぽく見えてしまう。ここにもいいものはいくつかあっただろう(Simryn Gill の有機材料でできた「小型トラックの化石」、70年代のチェコの彫刻家の Maria Bartuszova のなんとなく気持ちよさそうな作品とか)が、ガラクタ(あるいは環境によってガラクタにしか見えないもの)が多かった。
さらに、ドイツにありがちの70年代から引きずっと「社会的に教育させよう」といった説教っぽいところも目立っていた。「戦争が悪い」、「ジェノサイドが悪い」、「マイノリティーに同感しましょう」、そして「ヨーロッパが植民地主義の時代に犯した罪に深く反省しましょう」(この最後はどうも、
ポスト・キリスト教のヨーロッパにとって、キリスト教の original sin (原罪)に代わるものになりずつだ、と感じるのは僕だけかな?)といった、ありふれた、そしてだからこそくだらないメッセージはいったいだれのためなのだろう?学校でやる展覧会なら効果があるかもしれない(たぶん、そこでも微妙だ)けど、Documenta にわざわざ足を運んだ人を見たら的を完全にはずしているんじゃないか。「教育すべき」わかものどころか、そんなことをすでに十分知っている(あるいはこれからも興味を持とうとしない)高教育の中年のドイツ人のカップルが圧倒的に多くて、外国人も学生も少なかった。時間と場所の無駄だけじゃない?まあ、いいや。

An installation?
No, it's water leaking through the roof of the pathetically flimsy Aue-Pavillon.
Simryn Gill's "Throwback - Remade internal systems from a model 1313 Tata truck, circa 1985"
Maria Bartuszova


最後の会場の Schlachthof はまた中心部から離れているので、3日目にとっておいた。しかし、そこへ行ったら実は入場が無料でDocumenta の切符が要らないことがわかった。というわけで、1日分の切符が無駄だった。しょうがないね。そこの作品は二つのビデオしかなかったが、両方とも良かったから見逃してはいけない。ボンデージのビデオの Hito Steyerl のもう一つの、全然違う話題のビデオはまあまあだったが、地味な地価室で上映されたポーランド人の Artur Zmijewski の「論争ごっこ」の1時間のビデオは案外面白くて、Documenta 全体の一つのハイライトだった。



結論としては、発見はいっぱいあるから退屈は全然しないが、全体としては企画は失敗でしょうね。日本からわざわざ行く価値はないだろうが、北ヨーロッパに別の用もあれば行ってもいいんじゃないかと思う(9月23日までだ)。ただ「退屈しない」というのは
あくまでも閉場の夜8時まで。そのあとのKassel はなんの魅力もない、非常につまらないところだ。5年前の Documenta へ行ったときは天気がすばらしくて、公園のオープンカフェに座ってビールを飲みながら夕日を見るのが最高だったけど、今回のように雨が降ったらすることがまったくないし、おいしそうなレストランの気配もない。そのへんに関しては関係者にもう少し工夫してほしいな。


Thursday, July 26, 2007

全世界は雨?

月曜日、馬鹿高くて、雨の降りっぱなしのスウェーデンから戻ってきたが、その日はもちろんここも雨だった。結局1ヶ月もの旅行のあいだ、雨が降らなかったのはたったの1日だけだった。経由のバンコクは一応雨季だからしょうがないけど、スウェーデンはそんなはずがなかった。記録的な大雨で友達の家は地下水害にあったし。ドイツへも行ったら、そこもやっぱり雨だった。Documenta とMünster の報告を書くつもりだったが、旅行の後半はインターネットへの接続が非常に不安定でブログをアップデートするのは残念ながらとても無理だった。ま、その報告は後ほどだが、今日はとりあえずまたヘンテコなトイレのシンボル。バンコクのMBKの映画館から。
Alien toilet signs at Bangkok Cinema

なお、女性のトイレのドアは実は開いていて、中には女の子がいっぱい入っていたので、僕が印の写真を撮るときはとても怪しい目で見られた。当然だろうが、でも取材のためにいろいろ勇気を出さなきゃ。

Wednesday, July 04, 2007

スウェーデンはやっぱり面白くない



先週、タイ経由でスウェーデンに到着した。タイは土砂降りで、(たぶん飛行機のせいで)調子が悪かったから、たいしたことができなかったし、スウェーデンは全然夏らしくなくて、だいたい曇ったり、雨が降ったり止んだりしているし、気温は20度以下で上着が必要で、おまけにとんでもない円安のせいでなんでもかんでもばか高くて面白くないから、やっぱりたいしたことをやっていない。
今日はやっとちょっと晴れていたので今回の旅行の初めてのアイスクリームを食べた。もちろん、例のスミレとニワトコのやつ
明日からはドイツのカッセルのDocumentaそしてMünsterの彫刻祭り(上の写真は関係ない)を見にいくけど、あそこも似たような天気らしい。木曜日の予想の最高気温が13度だとか。困ったな...
(日本で地図を見たら南スウェーデンとドイツは近いように見えるかもしれないが、実は電車で9時間かかってしまうから、明日はかなりの早起きしなきゃいけない。)

Friday, June 22, 2007

東京の夕日

東京でも面白い夕日をたまに見ることができる、公害のおかげで。これは先日の新丸ビルのバルコニーから。


それとは全然違うことなんだけど、またも旅行に行ってきちゃう。こんどは1ヶ月の里帰り(=スウェーデン)。今年は予約を取るのが難しかったからいろいろ遠回りをしなきゃいけないけど、それはどうにかなるでしょう。一番たいへんなのは成田まで。明日の朝11時のフライトに間に合うためにあと5時間で起きなきゃいけない。まだ寝てもいないのに...

Thursday, June 21, 2007

Treehouses

うあ~、また体調を崩して、そしてまた忙しくなちゃったからしばらくアップデートしなかったみたい。すみませんね。
とにかく、先週は新宿のオペラシティーでやっている(建築家の)藤森照信の展覧会を見てきた。でもなにを言えばいいのでしょう。建物の形や素材やフィニッシュのいろんな新しい発送は確かにとても面白いが、この前の銀座のHERMESでの彼の展覧会もそう思ったように、茶室はねえ... 全然、僕のような身長の人には合っていないなあ。おまけに展示場にはにじり口まであって、入るのに相当苦しかった。
また、藤森さんの tea house である tree house の原型のようなものをこのあいだラオスで見たよ!(藤森さんも同じようなものを見たのかな?)ある半人工的な民族村(半分、その民族が住んでいる博物館のようなもので、半分「エコ・リゾート」)の間中に建っていたが、実は村のラブホテル!...とはちょっと言いすぎか。
話によると、あの民族の年頃の娘が結婚相手を選ぶとき後ろに見える家に入って、村の男たちが順番にその家の壁にある穴に手を入れて、女の子は相手の顔を見ないで声も聞かないでその手の「感じ」だけで相手を選ぶのだ。よく働くような人の丈夫そうな手が理想ですって。(実は、そんな場面が70年代流行っていた共食い族の映画の Il paese del sesso selvaggio (Umberto Lenzi 監督)にも登場するので、話を聞いたとき僕がすぐわかった。とんでもない映画を見ることはたまに意外なところで役に立つね。)
そのあと、女の子とそういうふうに選んだ男がいっしょにトリーハウスに上るが、最初の夜は喋るだけ。セックスをしてはいけない。(「休憩」のオプションがないラブホテルだ。)二日目はちょっと触ってもいいが、やっぱりセックスをしてはいけない。3日目で初めてOKだ。その理由は、恐ろしい呪いがかかっていて、その前にしてしまったら、、二人の家族や親戚がみな死んでしまう、と思われている。

しかし、藤森さんの自然っぽい建築の世界から外に出たら、初台にも恐ろしい呪いがかかっていたように見えた。