Tuesday, July 31, 2007

Documenta

スウェーデンにいるあいだ、ドイツにも足を伸ばして、カッセルで5年ごとに行われる Documenta という、世界最大級の美術展を見に行った。しかし、行く前に読んだ今回の Documenta の評判はものすごく悪くて、キューレーターたちは(税金から出た大金で)なにをやっているの?って。そして確かにキューレーターたちは遊びすぎたし、なにを言いたいのかぴんとこない。(そのへんに関する文書はもちろんいっぱいあるが、どうも当たり前のこと、あるいは(アート系の文書にありがちの)不透明なナンセンスにしか見えなくて、実際に展示されている作品の関連性も今一はっきりしていない)。
いつものビエンナーレなどの非常に限れた派閥の「有名なアーティスト」をさけて、代わりにあまり有名じゃない中南米やアジアのアーティスト、もうほとんど忘れられた60年代、70年代のアーティストに重点を置くのは決して悪いアイディアじゃなくて新しい発見のチャンスだと思うし、14世紀までさかのぼる古い作品を現代美術展に入れるのも面白いし、カタログをアルファベットじゃなくて年代順にするのも新鮮だったし、中国人のアーティストの Ai Weiwei が持ってきた沢山の古い中国のいすがあっちこっちに置かれたから座るところは珍しくいっぱいあったが... 展示場をそこまで滅茶苦茶にすればどうしようもないよねえ...


まず、最初の日はスウェーデンから電車に乗って(9時間もかかったから、あまり近くない)夕方カッセルに着いてから、早速小雨の中にメイン会場である Fridericianum へ向かって、午後5時以降の「夕方切符」を買った。Fridericianumはまだ「普通の展示場」で、そのせいか「いい作品」もそこに集中していたような気がした。特に気に入っていたものはたとえば、おばあちゃんのフレームと自分の髪の毛を使った Hu Xiaoyuan (胡晓媛)の刺繍、Trisha Brown のインスタレーションとその中に常に行われたダンス・パフォーマンス、Luis Jacob が集めたヘンテコな写真のコレクションの部屋、そして Hito Steyerl とういうドイツ人の女性が自ら出演した80年代の日本のSM雑誌の写真を日本に捜しに行って、当時の関係者(カメラマン、編集者、縄師など)をインタービューしたり、ボンデージの普遍性(?)について考えたりする、すごく面白いドキュメンタリービデオ。

Hu Xiaoyuan: Body parts embroidered with the artist's own hair
Bondage above, ballet below
From Luis Jacob's picture collection (kusagauma indeed!)

二日目はまず町の中心部から6キロも離れた Schloss Wilhemshöhe へ。ここは町のちょっと上にある、普段は博物館・美術館になっているお城で、晴れたらすごく綺麗だろうが、例によって小雨で霧だった。また、その美術館はレンブラント、ブリューゲルなどのオールドマスターのものすごく立派なコレクションを所蔵している。しかし、その中に一流でもない現代美術を混ぜるのは「大胆」というよりも、キューレーターのセンスのなさを物語っているんじゃないかと思う。まあ、Documenta のヴィジターにとって、どうでもいい現代美術に飽きたら、オールドマスターの中にはすばらしい作品がいっぱいあるから行く価値ちは十分あるが、キューレーターはまさかそんなところまでは考えていないでしょうね。
でもここにも(Documenta系の)いい作品はあった。2階の中央に暗くした部屋に14世紀のペルシアの細密画、16世紀の中国の陶器の「説明書」、19世紀のインドの水彩画などが1960年、70年代の作品そして「今」の作品と並んでいて、関連性はまた中途半端だが、いいものが多くて楽しかった。ここにも Hu Xiaoyuan の作品はあるが、点字で印刷された聖書の中にエロイ絵を描くのはちょっとシンボルの重ねすぎでしょう!またその暗い部屋の外にある、Dias & Riedweg によるブラジルとカッセルの歴史的な関係についてのビデオも面白かった。天気をのぞいて、とてもいい午前中だった。
Hubris: Rembrandt, Kulik, Rembrandt
Hu Xiaoyuan again, but this time a total symbolic overload: Fuckpics in a bible in Braille!
"Modern art? Been there, done that!" (Rogier van der Weyden)
Documenta-unrelated showcase at the Schloss Wilhelmshöhe with 2nd century glass. A healthy reminder that humankind really hasn't made
that much progress during the last 2000 years.


そこまでは Documenta は期待以上で、なかなかよかったが...



そのあとは全然駄目だった。
Neue Gallerie にはキューレーターたちは現代美術を支配しているいわゆる「ホワイト・キューブ」への子供っぽい反発で壁をドピンクやダークグリーンに塗り替えた。当然のように、その中にはアートそのものが完全に消えてしまって、ばかばかしかった。
また、今回のDocumentaのために公園の中にわざわざ建てたもう一つのメインの会場の Aue-Pavillon もチャチくてしょうがない。建物実態が展覧会の目玉の一つになるはずだったらしいが、すごく安っぽいグリーンハウスにしか見えない。そのせいで、そこに展示されているもアートそのものも安っぽく見えてしまう。ここにもいいものはいくつかあっただろう(Simryn Gill の有機材料でできた「小型トラックの化石」、70年代のチェコの彫刻家の Maria Bartuszova のなんとなく気持ちよさそうな作品とか)が、ガラクタ(あるいは環境によってガラクタにしか見えないもの)が多かった。
さらに、ドイツにありがちの70年代から引きずっと「社会的に教育させよう」といった説教っぽいところも目立っていた。「戦争が悪い」、「ジェノサイドが悪い」、「マイノリティーに同感しましょう」、そして「ヨーロッパが植民地主義の時代に犯した罪に深く反省しましょう」(この最後はどうも、
ポスト・キリスト教のヨーロッパにとって、キリスト教の original sin (原罪)に代わるものになりずつだ、と感じるのは僕だけかな?)といった、ありふれた、そしてだからこそくだらないメッセージはいったいだれのためなのだろう?学校でやる展覧会なら効果があるかもしれない(たぶん、そこでも微妙だ)けど、Documenta にわざわざ足を運んだ人を見たら的を完全にはずしているんじゃないか。「教育すべき」わかものどころか、そんなことをすでに十分知っている(あるいはこれからも興味を持とうとしない)高教育の中年のドイツ人のカップルが圧倒的に多くて、外国人も学生も少なかった。時間と場所の無駄だけじゃない?まあ、いいや。

An installation?
No, it's water leaking through the roof of the pathetically flimsy Aue-Pavillon.
Simryn Gill's "Throwback - Remade internal systems from a model 1313 Tata truck, circa 1985"
Maria Bartuszova


最後の会場の Schlachthof はまた中心部から離れているので、3日目にとっておいた。しかし、そこへ行ったら実は入場が無料でDocumenta の切符が要らないことがわかった。というわけで、1日分の切符が無駄だった。しょうがないね。そこの作品は二つのビデオしかなかったが、両方とも良かったから見逃してはいけない。ボンデージのビデオの Hito Steyerl のもう一つの、全然違う話題のビデオはまあまあだったが、地味な地価室で上映されたポーランド人の Artur Zmijewski の「論争ごっこ」の1時間のビデオは案外面白くて、Documenta 全体の一つのハイライトだった。



結論としては、発見はいっぱいあるから退屈は全然しないが、全体としては企画は失敗でしょうね。日本からわざわざ行く価値はないだろうが、北ヨーロッパに別の用もあれば行ってもいいんじゃないかと思う(9月23日までだ)。ただ「退屈しない」というのは
あくまでも閉場の夜8時まで。そのあとのKassel はなんの魅力もない、非常につまらないところだ。5年前の Documenta へ行ったときは天気がすばらしくて、公園のオープンカフェに座ってビールを飲みながら夕日を見るのが最高だったけど、今回のように雨が降ったらすることがまったくないし、おいしそうなレストランの気配もない。そのへんに関しては関係者にもう少し工夫してほしいな。


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