Sunday, September 28, 2008

The Twittering Machine

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昨日の夕方、たまたま藤沢で電車を乗り換えたとき、駅前のある木に無数(数千羽?数万羽?)の鳥たち(鳩?)が集まっていた。ものすごい勢いで飛んできたり、猛ヴォリュームで鳴いたりして、不気味なくらいだった。あの木にはなにがあったのだろう。えさになる好物の虫の群れ?それともあそこは鳩たちのラブホテル街なのかな?不思議だった。

Tuesday, September 16, 2008

Yokohama Triennale

第3回の横浜トリエンナーレのオープニングへ行ってみたが...

なにを言えばいいのだろう。なぞの多い展覧会だが、いったいだれのため?

有名なアーティストはたくさん出ているが、その選択は不思議。カタログをチラッと見たら、アーティストの半分は「ニューヨーク在住」。残りのアーティストのなかにも北米系のアーティスト、あるいは「ロンドン在住」やせいぜい「ベルリン在住」が目立っている。アフリカや東ヨーロッパのアーティストはぜんぜんいないし、アジアのアーティストも少ない。もっとひどく、「横浜在住」のアーティストは一人もいないんじゃないですか!ここはアメリカのどこかじゃなくて横浜だろ?横浜をテーマにしたアーティストさえいない。それぞれのアーティストを選ぶ理由があったとしても、そこまで偏っているとおかしいぞ!

実は「なにがあるのか」をいうよりも、「ない」ものを並べたほうが早い。
  • たとえば、若手の日本人のアーティストがいない。出ている日本人のアーティストでさえ主に60年代、70年代、やっぱりニューヨークで活躍した人が多い。
  • 第1回のバッタや第2回のコンテナーの門のような目印がまったくない。それどころか、パブリックアートが全然ない。
  • 「素人」でも素直に楽しめる作品や笑ってしまう作品がほとんどない。(例外は以下の Pedro Reyes ぐらいかな)。そういえば、ひねくれでもよかったが、ユーモアがまったく足りない!
  • Time Crevasse という、かなりわかりにくいスローガンからは去年のドクメンタのような展覧会を目指したことを推定できるが、ドクメンタほど大胆でも派手でもない。むしろびっくりするほど地味だ。
  • 内覧会のとき、第一会場の「新港ピア」の一番最初に入る部屋にはなにもなかった!チラシには「ヨナタン・メーセ」と書いてあったが、まだできていないモデルルームの感じだった。道理でみんなの第一印象が非常に悪かった。実は二日目になって、メーセさんはやっと(僕が見なかった)パフォーマンスであの空っぽのスペースをいろんな「ガラクタ」で埋めたが、遅いじゃない?もっと奥のほうの部屋ならはともかく、入り口からすぐの部屋でしょう?キュレーターたちはいったいなにを考えたのだろう?そもそも、今回はパフォーマンスを重視すると言っているが、それはそれでいいとおもうが、問題はパフォーマンスが行われていないとき、そのスペースには何があるのか、ということ。お金を払った人は空っぽの部屋やアーティストが別の日に使う日曜大工の道具なんかを見たくないのは当たり前じゃない?
  • あと、これは愚痴かもしれないが、オープニングレセプションには政治家の自画自賛のスピーチなどはあったが、食べ物が出なかった!僕のようにお昼から歩き回った人も、明らかにレセプションの豪華なビュッフェを目当てにやってきた人たちも、みんながおなかがすいていた。もともと今回のトリエンナーレに関してかなり厳しい意見をしかもっていなかったのに、空腹のせいでその不満がさらに高まって、みんなが早めに帰ったり、別のところに食べにいったりしたからちっとも盛り上がらなかった。また、キュレーターたちはいったいなにを考えていたのだろうか。
「ない」ものをおいておいて、結局あるのは、かなりわかりにくくて、地味な作品。僕は決して難しい作品がだめだと言いたくないし、思ってもいないが、「(時間さえあれば)解説を読んでおけば面白いかもしれない」というような作品が多いのに、時間の問題どころか、解説のチラシもないし、トリエンナーレのガイドブックにもたいしたこと書いていないし、スタッフに聞いてもなにもわからない(なにも知らされていない)からまったくしょうがなかった。(そこがまたキュレーターたちの大きなミス。たくさんのボランティアをせっかく集めたのに、作品の内容、アーティストの狙いなどについてなにも教えてあげなかったみたい。結局、日本の美術館のいつものつまらない調子と同じで、観客がインターアクティブなはずの作品にさえ絶対に手を触れないことにすばやく注意すること以外、役割は特にない。もし僕がボランティアだったら、それで満足しなかったよ!ある作品と一緒に何時間も過ごさなきゃいけないなら、その作品についてもっと知りたいのは当たり前じゃない?それとも当たり前じゃない、今の若者にとって?まぁ、まだ始まったばかりだからこの点はまだよくなるかもしれない。)
といわけで、作品の意味やアーティストの狙いがぴんとこないなら、結局「どうでもいい」で終わってしまう。もったいないじゃない?



まあ、文句はそこまで。いい作品ももちろんあるよ。

まず、唯一笑った部屋はペドロ・レイエス (Pedro Reyes) の二つのインスタレーション。
片方は Fischli & Weiss へのオマージュの熊とネズミのぬいぐるみだが、よく見ると息している!
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Pedro Reyes’ breathing hommage to Fischli & Weiss

(残念ながら、Fischli & Weiss 本人たちのビデオインスタレーションには頭が痛くなるような余計なカメラの動きが多すぎて、あまり見ていられなかった。楽しみにしていたのに、がっかりした。)
レイエスの部屋のもう一つの作品は"Baby Marx"という、共産主義の歴史を超ばかばかしいSF人形劇(!)の映画としての予告編。

Baby Marx

スティーヴン・プリナ(Steven Prina) の新港ピアのインスタレーション はぴんとこなかったが、土曜日のパフォーマンスはすばらしかった。プリナさんは16ミリの映画とその中の音楽に合わせてピアノを弾いたが、フィルムは途中で終わって、手で巻き戻されて再び始まったとき、プリナさんのタイミングがぴったり合っていた!ありえない!そんなのをわざとやろうとしてもまずうまく行かないから本当に毛が立つほど神秘的だった。あとで、映像を作ったマティアス・ポレドナ (Mathias Poledna) とちょっと話したが、プリナさんと一緒やるのがそのときが初めてだったって!また、映像に出てくるなかなかいい曲は1970年ごろ、Harry Nilsson という歌手が歌っていた "City Life" という曲なんだけど、昔の音源はマルチトラックじゃなかったのでそのまま使えなくて、曲をこの映像のために録音しなおして、歌っているのは実際に映像にも出ている Jason Falkner という、いまのシンガーソングライター。だれかがパフォーマンスを最初から最後まで(30分ぐらい)を撮ったといいな。

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City Life with Steven Prina on piano, and Jason Falkner singing in the film by Mathias Poledna.



ずいぶんきれいになった旧BankART NYK (カタログに使われているのは正式の名前の「日本郵船海岸通倉庫」とあまりにもくどすぎる。役所の調子に乗るなよ!)のほうでは1階にあるヘルマン・ニッチュ (Hermann Nitsch) の部屋がすごい!60年代から続いている、数日にわたる、牛のいけにえもあり、十字張りもありの「お祭り」で有名だが、壁にはその記録写真やビデオが映っていて、奥のほうにはお祭りに実際に使われた、血まみれの道具やキリスト教の神父の服などが置かれている。映像はかなり強烈なので、入り口に注意文も貼ってあるし、係員も入ろうとする人をわざと注意するが、そのおかげでむしろ好奇心が沸いてきて、入る人の数が増えた、と中にいたニッチュ氏の代表がいたずらっぽい表情で説明してくれた。
Part of Hermann Nitsch's very powerful installation

ニッチュのインスタレーションは血も、内臓も、気持ちも、すべて本物。それに対して、3階にあるポール・マッカーシー (Paul McCarthy) の大きなインスタレーションはうるさいだけだ。人形の足が切断されて、ケチャップが飛ぶなんて、くだらなすぎるよ。本物に対してのハリウッド板だね。
大物として期待されたマッシュー・バーニー (Matthew Barney) も普通のテレビ画面に映るビデオしか出してこなかった。(これではキュレーターたちもがっかりしたでしょう。)彫刻もなければ、画面の前に座るベンチさえないし、不親切なことにビデオの長さ(数分?それとも数時間?)も表示されていないので、すぐ退屈になってあきらめた。(もととも、個人的にマッシュー・バーニーの映画は非常に退屈だと思っているが。すごいイメージがいっぱいあるから、映画の写真集が結構好きなのに対して、映画のほうは眠ってしまうのか、早送りで見る。(実は4倍速が適切なんじゃないかと思う。)イメージだけで映画にならないよ。動きもなければ、動画じゃないよね。)

1階のヘルマン・ニッチュの部屋の隣にある勅使河原三郎のインスタレーションおよびパフォーマンスの空間も悪くなかった。ただ、本人がそこに踊っていないときはどうなっているのだろう。音とグラスだけだとあまり面白くないかもしれない。

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Teshigawara Saburo strutting his stuff on crushed glass



今回のトリエンナーレのとてもいいアイディアのひとつは横浜の名所である三渓園を一つの会場として使うことだと思う。実は、僕が会場の中ではそこが一番気に入った。元々散歩するのが楽しくてきれいなところだし、公園の中にある古い民家や茶室に「アート」が入るとさらに楽しくなった。ただ、問題なのは三渓園はアクセスが非常に不便で、ほかの会場から極端に離れているところにある。初日だけは新港ピアからのシャトルバスが1時間おきに出たが、それでも片道30分かかってしまった。それ以降は市営バスしかないので、もっと時間がかかりそうだから、行かない人も多いと思うが、それは大きな損だ。やっぱり行くべし!
三渓園には作品がそんなに多くないが、たとえば今回僕が結構期待していた霧の彫刻家(!)の中谷芙二子の作品はがっかりさせなかった。公園の中の谷のようなところに、ときどき濃い霧が発生して、そして怪しげなピンクのライトで中から照らされて、ちょっと幽霊っぽくなっている。不思議だった。風向きが湿度などに反応するセンサーで動いていて、実はかなり複雑な仕組みらしいが、一時的なパフォーマンスじゃなくて一応期間中にずっと動くという。(ただ、風向きによって霧がすぐそばにある、内藤礼が使っている部屋にも入ってしまって、元々「見えるか、見えないか、本当になにかがそこにあるのか、それとも幻か」のような内藤さんの作品が霧の中に消えてしまう、というクレームがついたそうだから、止められるときもあるかもしれない。)
Installation in Sankeien by fog sculptor Nakaya Fujiko



でも今の横浜に開催されるのはトリエンナーレだけじゃない。いろんな関連イベント(というか、同時開催のイベント)もある。たとえば、BankArt Life II 展には、トリエンナーレに足りなかった遊び心が逆にあふれている。トリエンナーレには全然いない若手の日本人のアーティストはZAIMの The Echo展に集まっている。そしてなんといっても、トリエンナーレにはないパブリックアートは(4日間だけとは言え)横浜美術館の前の空き地に展示されて、夜はライトアップされた。在日ドイツ人の彫刻家のフロリアン・クラール (Florian Claar) のこの「彷徨えるオランダ人」は本当にすばらしかった。これこそがトリエンナーレの目玉にも、話題づくりの目印にもなりえたのに、キュレーターたちは身近なものに全然目をむかないで、ニューヨークばかりで探していたでしょうね。(そして候補に上がったものはあまりにも高すぎて、スポンサーがつかなくて、結局断念せざるを得なかった、といううわさ... ああ。)

Florian Claar's absolutely stunning Flying Dutchman
- Much better than anything in the Triennale itself!

結論は、この秋の横浜のアートイベントを総合的に見ると、かなりすごいよ。ただ、残念ながらその中には中心になるはずだったトリエンナーレこそが一番弱いリンクかもしれない。アートが好きな横浜の市民として非常にくやしいことだ。
それでもいつもアートを見に行っている人たちは当然行くべきでしょう。自分の目で確かめるべきだ。(だが1日で全部見れると思わないほうがいい。)
しかし、アートの通でない、一般の人に進めたいかと聞かれると、ちょっと微妙だな...

Friday, September 12, 2008

As for the Ingurish

This particular piece of drivel appears on the door to Omotesando Hills, one of Tokyo's snottier purveyors of bling for the nouveau riche. As the motto for this emporium seems to be "Abandon all money, ye who enter here," one would have thought that they could have afforded a competent translator as well. Not so. In fact, the real message is that they couldn't care less.